桃林の歴史は江戸初期土井利勝古河藩主が領地の燃料に桃の木、果実が食料になるように植えたのが始まりと聞く。現在の古河総合公園の花桃は昭和50年開園を機に復活した。
駐車場から満開の花桃越しに熱気球が見える。
桃娘の笑顔がさわやかである。カメラ愛好家がシャター音を響かせている。
小高い富士見塚に登り桃林を俯瞰して眺めた。野点会場が眼下に見える。
グループのリーダーであるナルト君が愛嬌を振舞てくれた。
現在満開の花桃の品種は「矢口」であり全体の8割を占めるとのこと。
ピンクでない紅色の花もある。カンピ桃かもしれない?
徳源院跡付近の桃林に
赤御影の「若杉鳥子」と「長塚節」歌碑が寄り添うようにあった。左側の丈高いほうが長塚節の二首
まくらがの 古河の桃の木 ふ々めるを
いまだ見ねども われこひにけり
紅の したてりにほふ ももの樹の
立たる姿 おもかげに見ゆ
右側鳥子の二首
み歌今 われなき家の 文筥に
忘られてあり 身は人の妻
まくらがの 古河の白桃 咲かむ日を
待たずに君は かくれたまえり
明治の悲恋物語は美しく物悲し、二人は一度も会うこともなかった。下妻の横瀬夜雨の仲立ちがあった。・・・・・